【開基】

永禄5(1562)年に「島津義虎」が真言宗「無量寿院成願寺」を、薩州島津家の祈願所として「箱崎八幡宮」と神仏習合の形で開基。その後、豊臣秀吉の薩摩入りによって出水が直轄領となった文禄元(1592)年に寺社共に破壊され、慶長4(1599)年の島津義弘公による朝鮮の役の功により出水が復されると18代藩主家久公が寺社ともに再興し、末寺として久蔵院・稲荷寺・如法寺・西ノ坊・今泉寺・安原寺・新福寺・天福寺という八つの坊(出水市中央町八坊という地名はその八つの坊からきている)を抱え出水一の大寺院と称される程に発展したが、明治期の廃仏毀釈によって寺社坊共に荒廃した。


◯参照:『三國名勝圖會』青潮社
明治以前に存在していた真言宗「成願寺(じょうがんじ)」の絵図 ↓

※明治以前に存在した出水市の真言宗寺院

成願寺(末寺として久蔵院・稲荷寺・如法寺・西ノ坊・今泉寺・安原寺・新福寺・天福寺) 莊嚴院 幸善寺 金蔵院 東光寺 多寳寺 御成川寺 般若寺 常念寺 福性院 桂山寺

【中興縁起】

長島で生を受けた初代住職「全璋」が、出水市出身である「斑目日佛」のもと日佛寺(現在は京都嵯峨の大覚寺に霊明殿として移築)で修行を積み、師僧の死後その意思を受け継ぎ「柴田全乘」を第二の師として「草繋全宜・亀山弘応」の力添えもあり、廃仏毀釈によって真言宗の法燈が途絶えてしまった当市に「無量寿院成願寺」を中興する形で開山した。

【年表】

○昭和24年
当時国鉄職員であった全璋が、「日本一のお地蔵さん」を建立した真言宗僧侶の斑目日佛に弟子としてスカウトされ、第30代内閣総理大臣「齋藤實」が昭和恐慌の折に国民の自力更生を願って自費で東京に建立し、昭和22年時には吉田茂内閣の面々が役員に名を連ねていたとされる「日佛寺」で修行を開始。
 
○昭和29年
日佛死去に伴い、明治期の廃仏毀釈によって法燈が途絶えた出水市の真言宗寺院や西州高野山・大峯と呼ばれ修行の聖地であった紫尾山を復興するという意思を受け継ぎ、柴田全乘を第二の師とし西出水にて六畳一間の貸家を仮草庵とする。
 
◯昭和35年
現在地に移り「薩門山無量寿院乘願寺」として開山し、山号は日佛師が当地の霊山(愛宕山・紫尾山等)を「薩門山」と総称していた事から、院号・寺名の「無量寿院乘願寺」は永禄5(1562)年に「島津義虎」が箱崎八幡宮と共に神仏習合の形で薩州家の祈願所として開かれた真言宗「無量寿院成願寺」をもとに、第二の師であった全乘の名を一文字加え命名し中興された。(成願寺が島津本家の祈願寺であった眞言宗『大乘院』の末寺である時代が存在した事から「成」から「乘」に変更されていたという説もある)

○昭和38年 
「交通安全地蔵尊」建立
昭和38(1963)年9月13日に安置され、当時の市長・代議長・警察署長等が臨席のもと、交通事故減少を祈念する交通安全地蔵尊開眼記念法要が執り行われた。現在、安置されているのは2代目で、初代はおさすり地蔵として本堂前に設置されている。

○昭和50年 
本尊「薬師瑠璃光如来」開眼
寺院建立から15年の時を経て、当山の象徴たる御本尊を名匠に託し、昭和50(1975)年9月21日、当時の高野山奥之院維那「柴田全乘」師を迎え、開眼法要を厳修し檀信徒の諸願成就を祈念する道場を完成させた。

○昭和54年 
「報恩堂」(納骨堂)建立
昭和54(1979)年建立。令和3(2021)年ロッカー式納骨壇90基を新しく増設した。

○昭和60年 
「慈母観音菩薩」建立
昭和60(1985)年に現世との縁薄く水子となった御霊の供養・納骨とあわせて、安産・子授りを祈念するために造立された。

○平成18年 
日佛師が紫尾山にて彫った大地蔵(八坂神社境内)の手水所である、水かけ地蔵尊の開眼供養厳修。

○平成30年 
「墨龍之滝」命名
昭和期に初代住職が境内における滝行の場として造立し、三代目が平成30(2018)年9月11日にかつて「西州高野山・大峯」と称されていた「紫尾山」での回峰行を終えた際に「墨龍之滝」と命名した。

○令和2年 
「天凰院樂鳳堂」(聖殿)建立
令和期の天下大疫・異常気象に際して、日佛・全乘・全宜氏等から授かった様々な寺宝を納め、「天地安穏」を祈念する為に『天凰院樂鳳堂』(通称「樂鳳堂」)を建立した。内本尊は完全秘仏で堂内は当山住職しか立ち入る事はできないが、開堂した11月には毎年記念法要が厳修され、外から網戸越しに拝観することができる。外本尊「仏母大孔雀明王」は屋根上に祀られ、役行者や蔵王権現の尊像も内部には保管されて山岳信仰の様相も強い。

○令和5年
泉僧園道場「雙岦庵」建立
近代真言宗を代表する慈雲尊者・釈雲照律師を参考に、僧侶・檀信徒問わず自らを律するための施設として『泉僧園道場 雙岦庵』を建立。「泉」は古来における「出水」の名称であり、修業は山行・滝行に象徴されるように「道場」内に留まらず市内の山川草木全てが「僧園」であるという意味が込められており、様々な修行を通して明治以前には西州高野山・大峰と称されていた「紫尾山」や「長野鳶山の滝」をはじめとした周辺地域の行場を復興する意もある。「雙岦」はそびえ立つ山々を表現しており、日本の根源たる「山岳信仰」や「自行」に立ち返り僧侶の仏事の研修や修法の鍛錬はもとより、一般の方々に対しても瞑想・写経の「庵」として活用されている。

  • 日佛上人とその弟子たち

  • 紫尾山にて日佛作の大地蔵(日本一のお地蔵さん)

  • 交通安全地蔵尊の完成記事

◎「樂鳳堂」内の秘仏は初代住職が師である日佛上人から修法も含め授かって、東京から当地まで自らの手によって大事に運んで来た尊像であり、大不況や戦乱の世を乗り越えるべく国家の中枢から庶民まで立場や地域を超えて幅広く信仰され、何代にもわたり「天地安穏」の為に拝まれていた歴史がある事から、外拝においては強い「商売繁盛・社運隆昌」や大きな困難から「自力更生」する御利益があるとされている。

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